初夜、夫は義妹のベッドにいた ~白い結婚を貫いて離婚させていただきます~

初夜、夫は義妹のベッドにいた ~白い結婚を貫いて離婚させていただきます~

last updateLast Updated : 2026-10-14
By:  影畑凛星Updated just now
Language: Japanese
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結婚初夜、夫は義妹のベッドにいた。 ローゼンベルク公爵家に嫁いだエレノアを待っていたのは、夫ヴィンセントの冷たい仕打ちと、彼が溺愛する義妹リリアーナの存在だった。 妻として愛されることなく、ただ跡継ぎを産むためだけに求められる日々。それでもいつかは夫に愛されると信じ、耐え続けたエレノアだったが、結婚から5年後、ようやく授かった子供まで失ってしまう。 絶望の末に命を絶ったエレノアが、再び目を覚ましたのは――なんと、5年前の結婚初夜だった。 今頃、夫は義妹の寝室にいる。 けれど、もう悲しくはなかった。 二度とあの男に愛を乞うことなどしない。今度こそ、自分の人生を取り戻してみせる。

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Chapter 1

流産の夜、私は死を選んだ

「いつまでそうしているつもりだ? どれだけ手間をかけさせれば気が済む」

 夫であるヴィンセント・フォン・ローゼンベルク公爵の冷たい声が、エレノアの心に突き刺さった。

 ――ああ、この人は、こんな状況ですら、私を心配するような言葉のひとつもかけないのだ。

 5年間の冷え切った結婚生活が頭をよぎった。涙がこぼれそうになる。

 強い風に吹かれながら、エレノアはバルコニーから身を乗り出すように背中を預けた。

「お兄様、そんな言い方はよくありませんわ。エレノア様、どうか戻っていらして」

 そこに追い打ちをかけるような、柔らかな声。

 いつのまにか夫の隣には、リリアーナが寄り添っていた。

 風が強い中、リリアーナを気遣うように夫が腕を差し出している。

 そんなことは、一度もしてもらったことがなかった。

 義務として参加させられたパーティーでさえ、エレノアはいつもひとりで壁の花だった。

 中心にいたのはリリアーナだ。

 ヴィンセントの妹で――そして、彼の本当に愛する人。エレノアが嫁いできた日、初夜にすら夫はリリアーナのベッドにいた。

「お兄様だって本当は心配していらっしゃるのよ」

 リリアーナの言葉が空虚に響いた。

 そんなことがないのは、エレノアが一番よくわかっている。

 一度だって顧みられることのなかった、5年の結婚生活。いつも目の前で見せられる、自分という存在の不要さ。

 愛されているという自信で輝いているリリアーナとは対照的に、どんどんと疲れてみすぼらしくなっていく自分。

「リリアーナもこう言っているだろう。まともに子も産めないくせに、迷惑までかけるのはやめてくれ」

 夫は苛立ちを隠そうとすらしていない。

 エレノアはもはや、涙を抑えることができなかった。

 そっと腹に手を添える。

 そこには確かに、命があったはずなのに――今朝、流れてしまった。大量の血が寝具を汚した。

 夫から何度も身体を蹂躙されながら、それでも授かった愛しい命。

 それさえもなくした今、エレノアにはもう、何もなかった。

「お兄様! エレノア様がおかわいそう。公爵家のためにお子を産むというお仕事を果たせないからといって、出来損ないのように言うだなんて」

 リリアーナにはまったく悪気がない。

 だが、その悪気のなさが致命的だった。

 もう耐えられない。

 エレノアは地面を軽く蹴った。

 身体がバルコニーを超え――そして。

 落ちていく瞬間、ヴィンセントと目が合った。

 余計な手間をかけさせるなという、冷たい目。

 言葉がなくてもはっきりとわかる。何の心もない、思いやりも愛情もない彼のまなざし。

「――さようなら。二度と会いたくないわ」

 絞り出すように口にして、そのままエレノアは――落ちた。

 身体がバラバラになるような、引き裂かれるような痛みを感じた。

 頭の後ろが熱く、どくどくと何かが流れ出ていく。

 意識が遠のく。

「ふふ……」

 これで終わるのだ。

 そう思うとおかしかった。

 何のために嫁いできたのか。なぜ5年も耐えたのか。

「もっと早くこうすればよかったわ……」

 そうして――エレノアは、深い眠りの中にのまれていった。

   ◇

「ヴィンセント公爵様は、本日はこちらにはいらっしゃいません」

「えっ……」

 気が付くと、目の前には長身のメイドがいた。

 リリアーナ付きのメイドだ。エレノアが輿入れしたときには彼女がリリアーナのメイドだとは知らなかったが――初夜に、こうして言われたことを思い出した。

「ヴィンセント公爵様は、本日はこちらにはいらっしゃいませんと言ったのです」

 メイドはいらだったように繰り返した。

「そう……、下がっていいわ」

 エレノアは静かに返しながら、ふらふらと、寝台に腰かけた。

 なんだかまるで、夢を見ているみたい。

 ヴィンセントのもとに輿入れした、あの日を思い出しているような――そう思いながら横を見る。窓には、記憶にあるよりも若い、自分の姿が映っている。

「えっ……?」

 どういうこと?

 これは走馬灯なの?

 エレノアは混乱した。

 自分は確かに死んだはずだ。城のバルコニーから飛び降りた。あの高さからなら、絶対に助からないことを見越していた。

 だがそれなのに――今は。

「まるで、5年前の夜のよう」

 声もまだ若かった。

 夫に蹂躙され、貶められ、疲れ切ってしまう前のエレノアの、柔らかな声。

 まさか――奇跡が起こったというの?

 エレノアは立ち上がって、窓に近づいた。

 窓に映る自分の姿は、やはり、輿入れした日のもの。着ているドレスも、結い上げた髪も。記憶の中の自分そのままだった。

「ということは――」

 今頃、夫はリリアーナの寝室にいる。

 気づいても、もう昔のように傷つくことはなかった。ただ、無力感だけがあった。

 妹であるリリアーナと激しい夜を過ごす夫を想像しても、何の感慨も湧かなかった。胸の中にあるのはただひとつ。

「もしも奇跡が起きて、私が過去に戻っているのなら――もう、夫の好きにはさせないわ」

 離婚しよう。

 そうして、自分の人生を取り戻すのだ。

 エレノアの胸に、新しい目標が生まれていた。

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流産の夜、私は死を選んだ
「いつまでそうしているつもりだ? どれだけ手間をかけさせれば気が済む」 夫であるヴィンセント・フォン・ローゼンベルク公爵の冷たい声が、エレノアの心に突き刺さった。 ――ああ、この人は、こんな状況ですら、私を心配するような言葉のひとつもかけないのだ。 5年間の冷え切った結婚生活が頭をよぎった。涙がこぼれそうになる。 強い風に吹かれながら、エレノアはバルコニーから身を乗り出すように背中を預けた。「お兄様、そんな言い方はよくありませんわ。エレノア様、どうか戻っていらして」 そこに追い打ちをかけるような、柔らかな声。 いつのまにか夫の隣には、リリアーナが寄り添っていた。 風が強い中、リリアーナを気遣うように夫が腕を差し出している。 そんなことは、一度もしてもらったことがなかった。 義務として参加させられたパーティーでさえ、エレノアはいつもひとりで壁の花だった。 中心にいたのはリリアーナだ。 ヴィンセントの妹で――そして、彼の本当に愛する人。エレノアが嫁いできた日、初夜にすら夫はリリアーナのベッドにいた。「お兄様だって本当は心配していらっしゃるのよ」 リリアーナの言葉が空虚に響いた。 そんなことがないのは、エレノアが一番よくわかっている。 一度だって顧みられることのなかった、5年の結婚生活。いつも目の前で見せられる、自分という存在の不要さ。 愛されているという自信で輝いているリリアーナとは対照的に、どんどんと疲れてみすぼらしくなっていく自分。「リリアーナもこう言っているだろう。まともに子も産めないくせに、迷惑までかけるのはやめてくれ」 夫は苛立ちを隠そうとすらしていない。 エレノアはもはや、涙を抑えることができなかった。 そっと腹に手を添える。 そこには確かに、命があったはずなのに――今朝、流れてしまった。大量の血が寝具を汚した。 夫から何度も身体を蹂躙されながら、それでも授かった愛しい命。 それさえもなくした今、エレノアにはもう、何もなかった。「お兄様! エレノア様がおかわいそう。公爵家のためにお子を産むというお仕事を果たせないからといって、出来損ないのように言うだなんて」 リリアーナにはまったく悪気がない。 だが、その悪気のなさが致命的だった。 もう耐えられない。 エレノアは地面を軽く蹴った。 身体がバルコニー
last updateLast Updated : 2026-10-13
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愛されない妻の決意
 離婚しよう。 そう決意したエレノアだったが、すぐに現実的な問題に突き当たった。 この国では、結婚は神の前で交わす生涯の誓約だ。夫婦がどれほど憎み合っていようと、簡単に離婚することはできない。 唯一、婚姻をなかったことにできる方法がある。 結婚から一年間、夫婦の契りを交わさなかった場合だ。 その場合に限り、夫または妻が教会に婚姻無効を申し立てることができる。「一年……」 エレノアは小さくつぶやいた。 たった一年。 前の人生では、五年間もあの男に耐え続けたのだ。 一年くらい、どうということはない。 問題は、ヴィンセントがそれを許すかどうかだった。 彼がエレノアと結婚したのは、跡継ぎを産ませるためだ。愛するリリアーナとは、決して結婚できないから。 リリアーナはヴィンセントの従妹であり、幼い頃に公爵家の養女となった女性だった。 血のつながりだけならば婚姻は許される間柄だが、養子縁組によって兄妹となった以上、教会は二人の結婚を認めない。 だからヴィンセントは、別の女性を妻に迎える必要があった。 その役目を押しつけられたのが、エレノアだったのだ。「本当に、馬鹿だったわ……」 前の人生では、いつか夫が自分を愛してくれると信じていた。 初夜を義妹の寝室で過ごしたことも、何か事情があったのだろうと自分に言い聞かせた。 リリアーナが病弱だから、兄であるヴィンセントが気にかけるのは当然なのだと。 だが、そんなものはすべて言い訳だった。 ヴィンセントは最初から、エレノアを愛するつもりなどなかったのだ。 そして、今夜も。 彼はリリアーナの寝室で、愛する女性を抱いている。「……好きにすればいいわ」 不思議なほど、心は静かだった。 もう嫉妬することもない。 ただ、あの男に二度と触れられたくない。それだけだった。 エレノアは寝台から立ち上がり、呼び鈴を鳴らした。 しばらくすると、先ほどの長身のメイドが現れた。「何か御用でしょうか、公爵夫人」 その声には、隠しきれない不満がにじんでいた。 新婚初夜に夫が姿を見せないというのに、妻の世話をすることすら面倒だという態度だ。 前の人生では、こんな扱いにも耐えていた。「私の護衛騎士を呼んでちょうだい」「……護衛騎士、でございますか?」「ええ。テオドール・グレイよ」 メイドはあから
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公爵夫人の反抗
「……今、何と言った?」 ヴィンセントの声が低くなった。 エレノアは、静かにティーカップを置いた。「あなたのお子を産むつもりはないと申し上げました」「ふざけるな!」 突然の怒声に、控えていた侍女がびくりと肩を震わせた。 けれど、エレノアは少しも動じなかった。 前の人生でも、ヴィンセントはこうして怒鳴った。 彼の意に沿わないことを言えば、いつも不機嫌になった。エレノアが泣いて謝るまで、冷たい言葉を浴びせ続けたものだ。 だが、もう謝るつもりはなかった。「公爵家に嫁いできた意味を理解しているのか? お前には、ローゼンベルク家の跡継ぎを産む義務がある」「そうですわね」「わかっているなら、くだらない意地を張るな」「ですが、私はお断りいたします」 ヴィンセントの眉間に、深いしわが刻まれた。「エレノア!」「大きな声を出さなくても聞こえておりますわ」 エレノアは穏やかに微笑んだ。「それより、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」「……何だ」「ヴィンセント様は、なぜ私と結婚なさったのですか?」 あまりにも当然の質問だった。 しかし、ヴィンセントは答えに詰まった。「何を今さら……。両家の合意による婚姻だろう」「ええ。それは存じております。ですが、あなたご自身は、なぜ私を妻に選ばれたのでしょう?」「お前はヴァレンティア伯爵家の娘だ。家柄にも問題はない。公爵夫人として申し分ないと判断したまでだ」「それだけですか?」「ほかに何がある?」 エレノアは、思わず笑いそうになった。 そう。 それだけだったのだ。 前の人生では、この人の言葉の裏に、ほんのわずかでも愛情があるのではないかと期待していた。 けれど、最初から何もなかった。「では、私でなくてもよかったのですね」「……何?」「家柄がよく、跡継ぎを産める女性なら、誰でもよかったのでしょう?」「エレノア、お前は何が言いたい」「でしたら、別の方をお探しになればよろしいのではありませんか?」 ヴィンセントの顔が、怒りで赤く染まった。「馬鹿なことを言うな! 我々は昨日、神の前で婚姻を誓ったばかりだぞ!」「存じておりますわ」「ならば、自分の立場をわきまえろ!」 エレノアは小さく息を吐いた。 この男は、妻を何だと思っているのだろう。 自分は愛する女性と好きなように過ごし
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愛らしい白蓮花
 その日の午後。 エレノアが自室で本を読んでいると、扉が控えめに叩かれた。「エレノア様、リリアーナ様がお見えです」 侍女の言葉に、エレノアは本から顔を上げた。 ――来た。 前の人生でも、リリアーナは結婚の翌日に訪ねてきた。 あのときは、昨夜のことを謝りたいと言われたのだった。 そして、エレノアが何も言えずにいると、リリアーナは涙を流し始めた。 自分のせいでお兄様とエレノア様が不仲になってしまった、と。 結局、エレノアのほうが彼女を慰めることになったのだ。 なんと馬鹿げた話だろう。「お通しして」 エレノアは静かに告げた。 ほどなくして、淡い桃色のドレスをまとったリリアーナが姿を現した。 柔らかな金色の髪を揺らし、心配そうに眉を下げている。「エレノア様……!」 リリアーナは駆け寄ってきた。「ごめんなさい。私のせいで、お兄様と喧嘩をなさったのでしょう?」「喧嘩?」「ええ。お兄様が、とても怒っていらしたから……」 リリアーナは悲しそうに目を伏せた。「昨夜、私が具合を悪くしてしまったばかりに……。お兄様は、ずっと私についていてくださったの。エレノア様に申し訳なくて……」「そう」 エレノアは短く答えた。 リリアーナは、少し戸惑ったようだった。「エレノア様……?」「具合はもうよろしいの?」「え、ええ。お兄様が一晩中そばにいてくださったおかげで、すっかりよくなりましたわ」「それはよかったわ」 エレノアは微笑んだ。「では、今夜もお兄様にそばにいていただいたらいかが?」「……えっ?」「あなたは身体が弱いのでしょう? また具合が悪くなってはいけないもの」 リリアーナは目を瞬かせた。「でも……エレノア様は?」「私は大丈夫よ」「ですが、お兄様はエレノア様の旦那様ですし……」「ええ。けれど、あなたが大切なのでしょう?」 エレノアは、まっすぐにリリアーナを見つめた。「でしたら、私のことは気になさらなくて結構よ」 リリアーナの表情が、わずかに曇った。 ほんの一瞬のことだった。 すぐに、いつもの柔らかな微笑みが戻ってくる。「エレノア様は、本当にお優しい方なのですね」「そうかしら」「ええ。でも……私、エレノア様に嫌われてしまったのではないかと心配で……」 リリアーナの瞳が潤んだ。 ああ、これだ。 エレノア
last updateLast Updated : 2026-10-13
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夫の理不尽な嫉妬
「お前、まさか……男がいるのか?」 ヴィンセントの言葉に、エレノアは思わず目を瞬かせた。 何を言い出すのかと思えば、あまりにも馬鹿げた疑いだった。「どうして、そうなるのですか?」「夫との同衾を拒むなど、ほかに理由があるまい!」 ヴィンセントは怒りを隠そうともせず、エレノアに詰め寄った。「結婚したばかりだというのに、もう別の男に心を移したのか!」「ヴィンセント様。私たちは昨日結婚したばかりですわ」「だから何だ!」「昨日結婚したばかりの私が、いつ別の殿方と親しくなる暇があったというのでしょう?」 ヴィンセントは一瞬、言葉に詰まった。 だが、すぐに険しい表情を取り戻した。「結婚前からの知り合いということもあるだろう!」「まあ。それでは、私が結婚前から不貞を働いていたとおっしゃるの?」「そうは言っていない!」「では、何をおっしゃりたいのでしょう」 エレノアは静かに問い返した。 前の人生では、ヴィンセントに疑われるたびに必死で弁解したものだ。 けれど、どれほど身の潔白を訴えても、彼は耳を貸さなかった。 だから、今度は必要以上に弁解するつもりはなかった。「お兄様、落ち着いてくださいませ!」 リリアーナが慌てたようにヴィンセントの腕にすがった。「私が余計なことを言ってしまったばかりに……。エレノア様、ごめんなさい。私、そんなつもりではなかったの」 その大きな瞳には、また涙が浮かんでいる。「ただ、エレノア様があまりにもお兄様を嫌がっていらっしゃるから、もしかしたらと思って……」「そうね」 エレノアはうなずいた。「確かに、私はヴィンセント様と寝室を共にしたくないと思っているわ」「エレノア様……!」「けれど、それとほかに好きな方がいるかどうかは、まったく別の話でしょう?」 リリアーナは困ったように眉を下げた。「でも、夫婦なのですから……」「夫婦ならば、必ず寝室を共にしなくてはならないの?」「それは……」「では、昨夜ヴィンセント様があなたのお部屋で過ごされたのは、どういうことなのかしら」 リリアーナの顔が、さっと青ざめた。「そ、それは、私の具合が悪かったからで……!」「ええ、存じているわ。責めているわけではないのよ」 エレノアは穏やかに微笑んだ。「ただ、夫婦だから寝室を共にしなければならないというのなら、結婚
last updateLast Updated : 2026-10-13
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木陰に消えた二人
「エレノア! いい加減にしろ!」 ヴィンセントの怒声が、寝室に響き渡った。 エレノアは寝台のそばに立ったまま、夫を見つめていた。「何度おっしゃられても、私の答えは変わりませんわ」「お前は私の妻だろう! 夫婦の務めを拒むなど、許されると思っているのか!」「許していただくつもりはございません。私は嫌だと申し上げているのです」 ヴィンセントは苛立たしげに舌打ちした。「まったく、くだらない意地を張りおって!」 そう言うなり、エレノアの腕をつかんだ。「……っ!」 強引に引き寄せられ、エレノアは思わずよろめいた。「離してください!」「お前には公爵家の跡継ぎを産む義務がある!」 ヴィンセントは構わず、エレノアを寝台へ連れていこうとした。 その瞬間、前の人生の記憶がよみがえった。 愛情のない夜。 どれほど嫌でも、夫の求めを拒めなかった日々。 ようやく授かった子供を失っても、労わりの言葉ひとつかけてもらえなかった。 あんな人生を、もう一度繰り返すなんて。「嫌です!」 エレノアは必死に腕を引いた。「離して! お願い!」「エレノア!」 ヴィンセントがさらに力を込めた、そのときだった。「公爵閣下」 低い声が響いた。 振り返ると、開いた扉の向こうにテオドールが立っていた。「……何だ、お前は」「エレノア様の護衛騎士、テオドール・グレイでございます」「知っている。何の用だ!」 テオドールは静かに頭を下げた。「恐れ入りますが、エレノア様をお放しください」「何?」「エレノア様が嫌がっておられます」 ヴィンセントの顔が怒りで赤く染まった。「貴様、誰に向かって口を利いている!」「承知しております。ですが、私はエレノア様をお守りするよう命じられておりますので」「夫である私から守るというのか!」 テオドールは一瞬だけ沈黙した。 そして、まっすぐにヴィンセントを見つめた。「エレノア様が助けを求めておられる以上、相手がどなたであっても同じことでございます」「……貴様!」 ヴィンセントが声を荒らげた。 だが、テオドールは動じなかった。「閣下。今夜はどうぞ、お引き取りください」 静かな声だった。 それなのに、不思議なほど有無を言わせない響きがあった。 ヴィンセントはしばらくテオドールをにらみつけていたが、やがてエレノアの
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奪われる護衛騎士
 翌朝、エレノアは父親に宛てた手紙を封筒に入れ、封蝋を施した。 昨夜、ヴィンセントがリリアーナと庭園の木陰へ消えていった光景を思い出す。 前の人生なら、きっと一晩中泣いていただろう。 けれど、今は違う。 あの二人が何をしていようと、もう構わない。 問題は、ヴィンセントがエレノアを放っておいてくれないことだった。 妻としての務めを果たせと怒鳴り、拒めば力ずくで従わせようとする。 あの男と同じ屋敷で、あと一年を過ごさなくてはならない。 そう考えるだけで、気が重かった。「この手紙を、実家へ送ってちょうだい」 エレノアは、朝の支度を手伝っていた侍女に封筒を渡した。「承知いたしました、奥様」「なるべく早くお願いね」「はい。すぐに執事へお渡しいたします」 侍女は丁寧に頭を下げ、部屋を出ていった。 エレノアは、ほっと息をついた。 父親は、娘の結婚を心から喜んでくれていた。 まさか、その結婚がこんなことになるとは思っていないだろう。 前の人生では、父親に夫婦の問題を打ち明けたことなど一度もなかった。 結婚した以上、夫に従うのが妻の務め。 愛されなくても、我慢するのが当然。 そう信じていたからだ。 けれど、今は違う。 父親が事情を知れば、きっと力になってくれる。 少なくとも、ヴィンセントが一方的に夫婦の務めを強要することについて、相談できるはずだった。 エレノアは窓の外を見つめた。 朝日を浴びた庭園は、昨夜の出来事など何もなかったかのように美しかった。   ◇「ヴァレンティア伯爵宛ての手紙?」 執務室で書類に目を通していたヴィンセントは、執事の言葉に顔を上げた。「はい。奥様からお預かりいたしました」 執事が封筒を差し出す。 差出人には、エレノアの名前が記されていた。 ヴィンセントの眉間に、深い皺が刻まれる。「……何を書くつもりだ?」「内容までは存じません」「貸せ」 ヴィンセントは封筒を受け取ると、ためらいもなく封を破った。 執事は一瞬だけ目を伏せたが、何も言わなかった。 手紙には、結婚初夜からの出来事が簡潔に記されていた。 夫が義妹の部屋で夜を過ごしたこと。 夫婦の寝室を共にするよう求められたが、拒絶したこと。 そして、昨夜は無理やり寝台へ連れていかれそうになり、護衛騎士に助けられたこと。 最後に
last updateLast Updated : 2026-10-13
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身体までは奪わせない
「明日の夜は、誰もお前を助けには来ない」 ヴィンセントの言葉に、エレノアは血の気が引くのを感じた。 この男は、何をするつもりなのだろう。 妻が拒んでいることを知りながら、護衛騎士を追い出し、誰にも邪魔されない状況を作ろうとしている。 しかも、それを隠そうともしない。「……私が嫌だと申し上げても、寝室にいらっしゃるおつもりですか?」「当然だ。お前は私の妻なのだから」「それは、夫婦だからという理由で、私の意思を無視してもいいということですか?」「またその話か」 ヴィンセントはうんざりしたように眉をひそめた。「いつまでも子供じみたことを言うな。結婚した以上、妻には果たすべき務めがある」 エレノアは、つかまれた腕に残る赤い痕を見下ろした。 昨夜の恐怖が、まだ身体に残っている。 それなのに、この男は何ひとつ反省していない。「……わかりました」 エレノアは静かに答えた。 ヴィンセントが満足そうに口元を緩める。「ようやく理解したか」「いいえ。あなたが私の言葉を聞くつもりがないことを、理解しただけです」「何だと?」「これ以上お話ししても無駄ですわ」 エレノアは夫から目をそらさなかった。「ですが、私の答えは変わりません」 ヴィンセントの表情が再び険しくなった。「……勝手にしろ。明日になれば、嫌でも自分の立場を思い知るだろう」 そう言い捨てると、彼は部屋を出ていった。 扉が閉まる。 エレノアは、その場に立ち尽くした。 怖くないと言えば、嘘になる。 けれど、ここで屈するわけにはいかなかった。 あと一年。 夫婦関係を持たずに一年を過ごせば、婚姻無効を申し立てることができる。 そのために、今度こそ自分の身体を守り抜かなければならない。   ◇「申し訳ございません、エレノア様」 テオドールは深く頭を下げた。 彼の部屋には、すでに荷物がまとめられていた。「私のせいで、このようなことに……」「あなたのせいではないわ」 エレノアは首を振った。「悪いのはヴィンセント様よ。あなたは私を守ってくれただけ」「ですが、結果としておそばを離れることになってしまいました」 テオドールの声には、悔しさがにじんでいた。 エレノアは、彼の手元に置かれた旅行鞄を見つめた。 幼い頃から、テオドールはいつもそばにいてくれた。 父親の領
last updateLast Updated : 2026-10-13
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閉ざされた逃げ道
 鍵が外れた。 エレノアは扉から後ずさった。 昨夜はテオドールが助けてくれた。けれど、今夜は誰もいない。「エレノア、椅子をどけろ」 扉の向こうから、ヴィンセントの声がした。「お断りいたします!」「いつまでそんな真似を続けるつもりだ!」 扉が強く押され、前に置いた椅子が床をこすった。 エレノアは慌てて寝台の反対側へ回った。 もう、逃げ道はない。 やがて椅子が押しのけられ、扉が開いた。「……ずいぶん手間をかけさせてくれたな」 ヴィンセントが入ってきた。 背後には、鍵を開けた使用人が控えている。「下がれ」 ヴィンセントが命じると、使用人は頭を下げて立ち去った。 扉が閉まる。「さて、エレノア」 夫はゆっくりと近づいてきた。「今夜こそ、妻としての務めを果たしてもらう」「嫌です」「まだ言うか!」 ヴィンセントが腕を伸ばした。 エレノアは身をかわし、化粧台のそばに逃れた。「近づかないで!」「私を何だと思っている!」「私の言葉を聞いてくださらない方だと思っています!」 ヴィンセントの顔が怒りに染まった。「お前は本当に、どうかしてしまったようだな!」 そのとき、エレノアの指先が化粧台の上の小瓶に触れた。 香水瓶だった。 エレノアはそれをつかみ、床に投げつけた。 甲高い音とともに、瓶が砕け散る。「何をする!」「それ以上近づかないでください!」 エレノアは震える声で叫んだ。「これ以上無理強いなさるなら、窓を開けて助けを呼びます!」「……何?」「使用人にも、庭にいる者にも聞こえるように叫びます。公爵様が妻に何をなさろうとしているのか、皆に知っていただきます!」 ヴィンセントの動きが止まった。 彼が恐れているのは、妻が傷つくことではない。 自分の評判が傷つくことなのだ。「……私に恥をかかせるつもりか」「あなたが何もなさらなければ、叫ぶ必要はございません」 ヴィンセントはしばらくエレノアをにらみつけていた。 やがて、忌々しげに舌打ちした。「勝手にしろ!」 乱暴に扉を開け、部屋を出ていく。 エレノアは、その場に崩れ落ちた。 怖かった。 けれど、今夜も守り抜いた。 あと一年。 この調子で、本当に乗り切れるのだろうか。   ◇ 翌朝、エレノアのもとに執事が訪れた。「奥様。公爵閣下より、お伝
last updateLast Updated : 2026-10-13
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離れに追いやられた公爵夫人
「……ここで暮らせとおっしゃるの?」 エレノアは、目の前の建物を見上げた。 公爵邸の庭園の奥に建つ、古い離れだった。 外壁には蔦が絡まり、窓枠の塗装は剥がれている。屋根の一部には苔まで生えていた。「公爵閣下のご命令でございます」 執事は淡々と答えた。「奥様には、しばらくこちらで静養していただくようにと」「静養……?」 エレノアは思わず聞き返した。 どう見ても、人が療養するような建物ではない。 扉を開けると、かび臭い空気が流れ出してきた。 廊下には埃が積もり、壁際には蜘蛛の巣が張っている。窓は汚れで曇り、昼間だというのに薄暗かった。 寝室に案内されると、エレノアはとうとう言葉を失った。 寝台にはシーツもなく、天蓋には大きな蜘蛛の巣が張っていた。 古びた布をかぶせられた家具は、触れただけで埃が舞い上がりそうだった。「……お掃除は?」「急なご命令でしたので、準備が間に合いませんでした」「では、侍女を呼んでいただける?」「本邸の使用人は、こちらへ常駐いたしません」「……え?」 エレノアは執事を見つめた。「では、誰がこの部屋を片づけるの?」「必要なことがございましたら、お申しつけください」「誰に?」「お食事をお運びする者に、お伝えいただければ」 エレノアは言葉を失った。 水差しも、洗面道具もない。 暖炉には古い灰が残り、薪も用意されていなかった。「……今夜は、どうやって眠ればいいのかしら」「寝具は後ほどお届けいたします」 執事はそれだけ告げると、一礼して部屋を出ていった。 扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。 エレノアは、ひとり取り残された。 部屋を見回しても、座れる場所さえ見当たらない。 寝台は埃だらけで、椅子には蜘蛛の巣が張っている。 これまで、部屋が汚れていたことなど一度もなかった。 朝起きれば、侍女が洗面の支度を整えてくれた。夜には湯が用意され、寝台には清潔なシーツが敷かれていた。 そのどれもが、今はない。 エレノアは寝室から廊下へ出てみた。 けれど、どの部屋も同じように荒れ果てている。 呼び鈴を探しても見つからず、誰かの名前を呼んでみても返事はなかった。 どうしたらいいのだろう。 誰に頼めば、この部屋を使えるようにしてもらえるのだろう。 エレノアは途方に暮れた。 こんな場所で一晩
last updateLast Updated : 2026-10-14
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